4月のMotoGPアメリカGPで、ホンダがオースティンをポイントなしで去るという考えられない出来事が起こりました。しかし、日本のメーカーにとって結果とパフォーマンスの危機は続いており、イタリアGPでの新たな章を迎えました。
ムジェロでは、日本のメーカーは常に最後の方の順位にいて、1ポイントも獲得できませんでした。両レースでの最高位はヨハン・ザルコ(LCRホンダ)の15位で、スプリントでは15位、メインレースでは19位でした。
これにより、2024年にホンダがポイントなしでGPを去るのは2回目となりました。1997年シーズンのようにすべてのグランプリを制覇した支配の時代は遠い昔のことです。
ホンダがグランプリでポイントを獲得できなかった最後の時期を探るには、1980年まで遡る必要があります。しかし、その年は彼らは1台のバイクしか持っておらず、14ラウンドのうち5ラウンドで高住和正に託されていました。日本人ライダーは一度もポイントを獲得しませんでした。また、1980年は1979年に終わった11年のブランクの後の2シーズン目であったことも注目に値します。